現在までのところ、メディアや国会でみずほ銀行側の責任追及が行われたが、相変わらず、説明責任0、貸し手責任0、社会的責任0をみずほ銀行は貫いている(悪いのは時代だった、という説明のみ)。

せめてみずほ銀行は次の一点の質問に答えてもらいたい(何度無視されたかわからない質問である)。

みずほ銀行側主張:
みずほ銀行は現在のところ、「銀行側が自宅保全のための相続税対策として、顧客に提案融資をした」という事実を認めている。にもかかわら現在、みずほ銀行の要求は「名義人の死亡時に、自宅を売却して債務返済せよ」というものである。

自宅保全のための相続税対策として銀行が借金を勧めておきながら、現在では自宅を売却して借金返済せよというのである。


当方側主張:
当方および当方側弁護士は、みずほ銀行の「自宅売却による債務返済」」という主張には、みずほ銀行が認めている相続税対策という語義上の矛盾、論理展開上の矛盾、社会通念上の矛盾があると考える。

また、前田晃伸みずほ社長は第154回国会 2002/4/24 においてバブル期の融資について「銀行も責任はなかったともちろん申し上げません」と明言。さらに第154回国会 2002年6月12日では、「相手の方の御事情を十分配慮するというのは当然のこと」だと発言している。

上記の前田社長の発言は当方のケースに当てはまると認識しているか?また当てはまると認識しているとすればどのような「配慮」が社会通念上「当然のこと」だと考えるか?


他にも多くの疑問点があるが、せめてみずほ銀行にはこの点だけでも説明責任を果たしてほしい。サイト右上の「お問い合わせ」欄よりメールでの返答を待つ。もちろん、公正を期すため本サイトでの返答文の掲載も可能である。なお、本エントリーとほぼ同様の質問がすでに、当方側弁護士からみずほ銀行側に対しなされている(実質的な意味での返答がないため、ブログでの公開質問を行った)。
カテゴリー: 銀行被害
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銀行融資の実態 頭取自宅前で抗議の心中未遂





2007.7.5 TBS イブニングファイブ  You Tube

弟と心中未遂を図ったこの女性は、殺人未遂で逮捕された。銀行があの手この手で提案してきたことを信じたがゆえに、長年住み続けた家を銀行に奪われたのだ。

「家を奪われたら、生きていけないと思ったのです。」
全く、私たちも同じように感じる。

銀行関係者はこの痛みをどう受け止めるのか?無視し、軽視し、しょうがなかったというのだろう。これほど被害者を苦しめていても、家に帰れば平気な顔で家族に愛情表現をしたり、教育論をぶったり、幸せな生活をエンジョイするのが銀行マンなのだ。「おれだって仕事で大変なんだ」。そうやって自分たちが他者に甚大な痛みを与えているという事実から、目をそらし、言い訳を積み重ねるのだろう。

おれには直接関係ないことだ、会社のためには仕方がないのだ。そうやって、被害者の痛みを見ないようにし、一人平和な生活を盗み取ろうとするのが銀行マンである。自分たちの利益のためには、被害者が苦しむのもしょうがない。自分が会社の不正な行為を黙認している一人なのだ、という事実さえ見ないようにし、否定しようとするだろう。

バブル時代の銀行融資はまさに常識はずれの放漫経営の典型だった。そのツケを日本社会はバブル崩壊という国家的損害として支払い、銀行救済策として70兆円という国民の税金が使われた。

しかし、銀行は本当に何も反省しないまま、国民に自分たちの失敗をすべて押し付けたままなのである。それに対し被害者がどのように感じているか、真摯に答えるべきである。みずほ銀行を筆頭に、銀行は私たち被害者など、全く無視したままなのである。

そして、このブログを見る一人でも多くの人が、銀行に対し、その顧客軽視の経営姿勢を改めるよう迫ってもらえればと思う。
カテゴリー: 銀行被害
投稿者: webmaster

11月1日: 痛み

銀行で働く人間も、被害者である私たちも、人間の直感に反する矛盾が一人歩きすることに、全ての人が傷ついているのだと思う。その理不尽を百も承知の上で、それでもなお、一家族の生活を破壊しても構わないと命令する資本の欲望とは何なのか?

どれだけ多くの人を傷つけようと、その欲望はいつでも不死鳥の如く頭をもたげ、強烈に私たちを誘惑する。一部の人間が踏み台にされ、その被害を目の端で憐れんでみるものの、増殖しようとする資本の濁流に全ての人は飲み込まれる。「これで本当にいいのだろうか?」。日常の中で常にそんな感覚にさい悩まされながらも、私たちは資本が与えてくれる快楽や刺激、優越感や多忙にその虚無を忘れたがるだろう。

そして搾取をはかる側の人間たちはこの濁流の中で、私たちのような被害に対する同情心を、自らの心の中で自分をだましつつ矮小化するだろう。「しょうがないことだったのだ」、そうやって彼らは私たちの痛みを低く見積もろうとするだろう。そして数字として現れる利益の前で、私たちの痛みは不可視化される。

私たちの被害もその濁流の泡ブクとなるのかもしれない。「何と理不尽な!」。しかしそう思った次の瞬間、こう気付くのである。この私たちに向かって立ち現れている巨大な暴力は、わたし自身の欲望もその一部を形成しているのだと。あれが欲しい、これが欲しい、もっと満たされたいという自分の内部に居座る欲望は、見えない連鎖の中で常に他者を搾取し、抑圧し、支配しているのだ。その欲望が組織を経由して増幅され、法の不備をいいことに、今度は、私たち家族に向けてその収奪を図ってきたに過ぎないのだ。

故に、私たち被害者の意識はより広い方向に開かれていかねばならないと思う。私たちのエゴの濁流の中で搾取され、抑圧され、殺されていくあらゆる「いのち」の声に耳を澄ませること。それはこのブログを読むあなたが、私たちの痛みに心を傾けることを要求すると同時に、私たち自身にも他者の痛みを直視することを要請する。そこに見えてこなくてはならないのは、少ない金でいろいろな物が欲しいという人々のエゴに使い捨てられる第三世界の労働者の姿かもしれないし、肉をいつでも食べたいという人間のエゴによって食べられるためだけに機械的に産み落とされる動物のいのちかもしれない。

この社会はそのような、直視すると苦痛を感じるものを必ず隠蔽しようとする。なぜなら、銀行の人間が実践するように、搾取による利益の最大化は他者の痛みから目をそらすことで可能になるからである。だからこそ経営幹部たちは私たちが銀行によって激しい苦痛を受けている、という事実へのアクセスを意図的に閉ざすシステムに守られている。しかしそのように、痛みを引き受けることから常に逃れてしまう事で、私たち人間は何かとても重要なものを喪失しているのではないか。

それは他者の痛みに真に共感するという、人間のもつ、心のそこから湧き上がる動物的で説明のつかない感情であり、そこから生まれる、「いのち」という神秘への敬意ではないか。私たちは日常生活にかまけ本当に苦痛を感じている人間の感情を低く見積もり隠蔽しようとしていないだろうか、私たちは肉として食べられる動物に心から感謝の念を抱けるだろうか?

私たちは、私たちの痛みを訴え続けなければならないと思う。沈黙を余儀なくされた同様の被害者のためにも。
おかしいものはおかしい、痛いものは痛い、それを声に出すこと、そして他者のそれを聞き取ること。その地点への視界が開かれていなければ、私たちは被害者は「被害者のエゴイズム」に没入してしまうだろう。社会も銀行も、そして私たちも、この痛みを直視しなくてはならない。
カテゴリー: 銀行被害
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みずほ銀行の歴史を遡ると、その源流に渋沢栄一が設立した日本初の銀行、第一国立銀行にたどり着く。

渋沢栄一
1840-1931


渋沢はこう言う。
「道徳的規範を持たないまま近代資本主義社会になだれ込んだ場合、弱肉強食の世界が現出することを感知し、恐れたがゆえに、事業家の人格的完成を最大の徳目としたのである」佐野真一著『渋沢家三代』(文春文庫)

これに関して朝日新聞の次のような記事がある。
朝日2007.02.16東京夕刊一面
自宅を手放し、失意のまま亡くなった車いすの高齢の女性、無理心中を図った姉弟……。みずほ銀行がからむ案件もいくつもある。「被害者の恨みは絶対に消えません」
消費者の大半は金融の知識がない。「貸すだけ貸して、あとは自己責任、と突き放す。渋沢栄一さんが生きていたら、絶対に認めないはずです」と椎名。
 公的資金の投入や大規模再編で金融界は、経営の健全性を取り戻してきた。だが業績が回復したと思ったら、昨秋、政治献金を再開しようとした。目を向けたのは、人々ではなく、政治だった。江上にいわせれば「ほかにすることあるだろ」である。


みずほ銀行はバブル時代、私たち家族に対し、「家を維持するためには相続税対策をしないと税金で家を失う。そうならないためには借金をした方がいい」、そう言って、名義人の年収の300倍超を提案融資してきたのである。銀行員が「借りなさい」とリスク説明なしに自宅を執拗に訪問してきたのだ。しかも名義人夫婦共通の学生時代の友人の銀行支店長がである。

それがいまや、そのみずほ銀行に自宅を競売にかけられるという矛盾。戦前から半世紀以上私たちの持ち家だった自宅・土地をみずほ銀行は詐欺に近い形で奪おうとしているのです。

みずほ銀行の経営者、頭取、行員、全ての関係者に問いたい。

あなた方のしていることは、「道徳的規範」の欠落ではないのでしょうか?あなた方のような経営者を渋沢翁は一番嫌ったのではなかったでしょうか?私たちは本当に苦しんでいます。この痛みをどれだけ感じようとしたことがあるでしょうか?どれほど他人面をしようとも、この痛みはあなた方一人一人の総体である「みずほ銀行」が与えてきているのです。

年収の320倍を融資しておきながら、何の責任も取らず全て借り手のせいにする。あなた方は私たち家族を誇張でなく殺そうとしているのです。自分のしていることを、自分の大切な人に伝えることが出来ますか?子どもや両親や家族に、私たちの被害を伝えることが出来ますか?
「資金回収のあり方について」の質問を受けて、

前田晃伸みずほ社長の答弁
「契約の拘束性の追求という部分と人間の尊厳の確保と両立を図るという考え方は、私どもも承知いたしておりますし、その趣旨につきましては、私どもの考えと矛盾するものは全くございません。」

「相手の方の御事情を十分配慮するというのは当然のことだと思っておりまして、契約に書いてあるからそのとおり形式的に適用するというような運用をやらないようにと、むしろそういう指導をいたしております。」
→ 第154回国会 2002年6月12日

前田晃伸社長はこのように国会で答弁している。


しかし、みずほ銀行は私たちに対し2003年頃より、自宅の評価が借り入れ分の価格を下回っているという理由で追加担保を要求してきた。だが追加担保の設定は銀行に権限はなく、法律上から言っても私たちの決断に委ねられるべきものである。

だがみずほ銀行の要求は段々と強硬になり、「YESかNOか、NOなら自宅を競売にかける」と言ってきたため、承諾せざるを得ない状況に追い込まれた。これは完全に「優越的地位の濫用」に相当する。また、この一連の銀行の不当な圧力から、保証人夫婦は二人ともストレス性の急性心臓発作にあい、死の危険にさらされた。また、現在も通院治療中である。

結局、2005年5月、残っていたわずかな土地がみずほ銀行によって追加担保させられた。ところが、その直後の7月、みずほ銀行は一部元金の返済を要求。従わなければ、追加担保分の土地を合わせて自宅を競売にかけるといってきた。

当方に元金の返済の資力はなく、最終的に自宅競売という現況にまでみずほ銀行は私たち家族を追い込んできたのである。

みずほ銀行関係者の方に聞きたい。保証人夫婦は二人ともみずほ銀行からの強圧的な取立てによるストレスから、急性心臓疾患で死亡する可能性があった。時期的にも、この因果関係は明白である。そして上記のプロセスを知った上で、それでもなお、この取立ては「正当」とするだろうか?
みずほ銀行側の問題点として①銀行からの提案融資、②名義人の年収の300倍超の貸付、③リスク説明の欠如、④融資条件の隠匿などが挙げられます。何より相続税対策として勧誘された融資でしたが、90になる祖母はまだ存命中なのです。そして政府は銀行を税金で救済し、その銀行は大企業への債権を放棄した上で、個人への取立てを強行する。

このまま競売が強行されますと、みずほ銀行の罪は全く問われないまま、私ども3世代の家族は生活基盤を奪われます。自らの責任を完全に棚上げにしたみずほ銀行からの理不尽な取り立てで、両親はストレスによる心臓疾患をわずらい、命の危険もありました。以上のことを「おかしい」と強く感じる私たち家族の気持ちはご理解いただけるでしょうか?

わが家の土地は戦争で財産を失った曽祖父が唯一残してくれた遺産です。それを祖母と亡くなった祖父が、ゼロからここに生活を築き上げ、そして私の父がそれを引き継いで守ってきた場所です。銀行はその土地を守りましょうよ、といってリスクの説明なしに年収の300倍超の融資を提案してきたのです。それも両親の共通の友人であった銀行支店長が勧誘してきたのです。なぜ、それが何十兆円もの税金によって救われ、納税も免除されている銀行に奪われなくてはならないのでしょうか。

私たち家族は、この問題に生命財産がかかっているといっても過言ではございません。前田晃伸社長もバブル期の融資について「銀行にも責任はなかったとは言わない」と国会で答弁しています。私たちにも責任は当然あります。しかし、このまま競売が強行されると銀行の責任0、債務者10とされたまま、家族三世代の生活基盤が破壊されるのは明白です。これは社長の国会答弁とも明白に矛盾するものではないでしょうか?

みずほ銀行には少なくとも説明責任があると思います。しかし、銀行は「バブルだったから仕方ない」としか説明していません。それで半世紀以上ここに住んでいる90歳の祖母が納得すると思いますか?東京大空襲で全てを失い、戦後ゼロからこの土地で生きてきた祖母の人生を、そんな一言でご破算にするつもりでしょうか?
カテゴリー: 銀行被害
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